解散

第 204 回国会最終日を迎えるその前日、パンデミックのさなかでも風物詩が欠かせるわけにはいきません。

内閣不信任決議案。

日本維新の会の足立議員は演壇に「何の意味も見出すことができない」と発言しました。それは厳しすぎます。意味と言えば、現在の日本政治の本質を覗くことができるのではないかと思います。

そしてもう一つは「解散」。

日本の衆議院議員の任期が大体半分前後過ぎると、解散の憶測はニュースになり始まる気がします。それはそうです。解散されず任期満了まで職務を全うことができたのは日本国憲法の下に一回だけです。そのような事実を分かる人であれば次回も解散するだろうと判断できると思いますが、なぜ解散中毒の与党に繰り返し投票するのでしょうか。

内閣総理大臣の解散行為自体が間違いなく適法です。しかし、ここは適法性を議論しようとするのではありません。寿司屋に行って、あなたの友達がネタばかり食べて、さらに闇鍋も作る気みたいにご飯を醤油の皿に入れて、混ぜまくることと同然です。少し言い過ぎました。真に必要であればそれでもいいですが、ほとんどの場合、そんな必要はなく、ただの気まずい遊びです。

しかし現在の日本、そのまさかが現実になっています。解散が当たり前になっていることを批判する人はほぼいません。いわゆる「争点」にすらなれません。現在の野党でも与党時代に結果から考えると自殺的な解散をしました。

確固たる理由さえなければ解散決定する内閣総理大臣を信任する政党に投票してはいけません。

「遊びって何が悪い?」と思う人もいます。

確かに、遊びはいいですね。しかしそれは国会ごっこではありません。みんなの日々の生活に確実に影響を及ぼします。「このまま本当にいいですか?」と自問してもらいたいです。

「民意を問うの何が悪い?」と思う人もいます。

何も悪くないですよ。しかしその民意を問おうとする人=解散切符を切った人=内閣総理大臣が、何か勘違いしているのではないですか?現在の国会議員は全国民 4 年分の信託を得て、民意の代表としてわざわざこの東京の永田町に来て仕事しています。なんでその既存の仕組みを無視するまで民意を問い直さなければならないのですか?世論調査でもある程度の民意が分かります。極論と言えばその仕組み自体に問題がある立場で直接民主主義支持するならまだ分かりますが、現在の解散大好き党は直接民主主義を推進したいとは到底思えません。

なら解散の真の目的は何ですか?恐らく堂々と言えませんよね。

そんな政党、まだ許せますか?

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