2、3 年前、Twitter をやめた経緯があります。始めたのは多分 10 年も前だと思います。最近、Twitter の話題がまた友達との会話中に出たのもあり、なぜ Twitter をやらないのか、をまとめたいです。
まず、Twitter をやらないというのは、Twitter を一切利用しないのではなく、Twitter アカウントを持たず、「いいね」や「リツイート」の数も見えないようにします。つまり、「この人の Twitter を見たい」ときだけ、その人のアカウントの内容そのものを見るだけです。
ではなぜ Twitter をやらないのか、もしくはなぜそのようなやり方をするのか、ですね。その根本的原因は、
Twitter の信号と雑音の比はやばい
からです。もちろん、Twitter 上に価値のある情報は山ほどあります。しかし、その裏に、無価値、あるいは定義次第マイナス価値の情報は溢れ出しています。その中、「いいね」や「リツイート」、そして「フォロワー」と「フォロー」の数という公式情報も残念ながら含まれています。ですから、どうしても見たい(フォローしなくても Twitter ID ぐらい覚えている)特定のアカウントの内容そのものだけ、見ればいいと思っています。信号と雑音の比を最大限良い方向に持っていく手段です。
2 の次、ではなぜ発信しないのか。それは、自分の過去の使用歴から、
Twitter での発信は自分にとってマイナス効果が大きい
だと気づいたからです。どう言うことかというと、リツートを除く、自分の Twitter での発信は、基本的に愚痴、あるいは一見論理的で深刻的だが、実は熟考が欠けている、そしてまとまっていない情報がほとんどです。それだけならまだいいですが、そのような情報を発信しまくったくせに、熟考の習慣を忘れつつあるのではないかと危惧していたから、Twitter での発信もやめました。
最後、なぜ Twitter のアカウントも持たないのかというと、それは、
Twitter に追跡され、情報のバブルに入っちゃうのは嫌
だからです。
これで、特定の本当に価値のあるアカウントの内容そのものを見るだけなら、Twitter をやる意味はないと思います。