「与野党 9 党首が激論」

衆議院が解散されました。今夜では「報道ステーション」も「news 23」も党首討論一色。しかし、見出しと違って、「激論」どころか、つまらなく感じてました。

それはなぜでしょうか?

原因はもちろんいろいろあると思いますが、メインの一つは、やはり「討論」が成立していないからだと思います。「討論」がなければ、「激論」も当然ありません。

討論というのは、「一定の議題について意見を闘わせることを指し」とされています。「闘う」というのは、間違いなく一方通行ではなく、交互でなければならないです。しかし、テレビ上の現実を見て、基本的なパターンは、

司会「A さんは b をどう考えますか?」‌‌
A「xxxxx だと考えます‌。」
司会「B さんはどうですか?」‌‌
B「yyyy だと考えます。」

と観察しています。それがおかしいです。討論各セッションのテーマの良し悪しはともかく、討論というものの、論客たちに意見陳述しかやらせませんでした。これだと闘うことはからきしなくなり、意見陳述会になります。討論にもちろん意見陳述は必要ですが、それがメインではないと思います。陳述だけやるなら、ビデオメッセージで十分です。

意見陳述会は眠気を催します。「闘う」ことが人を興奮させます。

真の討論会を大いに期待しています。

司会「A さんは b をどう考えますか?」‌‌
A「xxxxx だと考えます。」
司会「B さんはどうですか?」‌‌
B「yyyy だと考えます。」‌‌
A「B さん、yyyy はおかしいじゃないですか?」
B 「いえいえ、zzzz ですよ。xxxx こそおかしいですよ。A さんは x をどう定義します?言葉は曖昧ですよ。」
A「私が言う x は pppp の意味です。例えば nnnn のことがあります。こういう時に yyyy は対応できます?自己矛盾しません?」
......
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