専門家を警戒すべき理由

専門家は大体怖いものです。政策を歪んだ方向に導く意味で。‌‌

本当ですか?と疑うあたなに、その理由はただ一つであることを申し上げたいです。

専門家は間違った見解を尤もらしい理論で防御し、正しい見解を無力化する能力に長けています。

専門家は聖人ではなく、私利私欲があります。最高裁判事は色んな制度で最大限に彼らを法と証拠のみで判断できる環境にいられるように守っているが、専門家にそんなものはありません。あなたは人格的に良く信頼できる人ならともかく、そうでない場合、専門家を警戒すべきです。

論理性を称える世の中、まるで論理性があるみたいに物事を運べば、仮に論理性はなくても、受け入れられやすくなります。論理性は素晴らしいものだが、そもそも日常的に頻繁に使えるものではないのではないでしょうか?数学の証明みたいに、論理のみが語られる場合、最終的に正しいものだと証明されたとしても、みんなが注意深く慎重に慎重を重ねて証明をレビューした結果です。そうでないと、よく考えれば論理矛盾だね、みたいなことは後を絶たないでしょう。しかし、現実世界の複雑性と時間の有限性の故に、なんでも注意深くレビューすることは現実的にできません。どういう意味かというと、論理的に物事を運ぶことは理論上できるが、実践的には不可能な挙句、ほとんどの場合、論理性はただ嘘を飾る道具でしかありません。

これは論理性を放棄しろではなく、論理性に対する幻想を捨て、論理性の実践上の限界を認識しましょう、という話です。ソフトウェア開発に銀の弾丸などないみたいに、世の中の課題に対処するときにも、論理性は銀の弾丸ではありません。

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